アメリカでの生活とアートについて

細部に神は宿る

アパートからバスで30分先にあるタフト美術館へ行ってきました。19世紀初頭の建物で、室内が少し暗かったためか重苦しい雰囲気です。

長い回廊を歩いていると、不思議な静物画に惹きつけられました。説明書を読んでみると東洋からの影響があり、花瓶も中国由来のものです。

こういったヴァニタス系の作品を見て感じることは、「細部に神は宿る」という精神性です。この考え方は、自然の中から神を見出す日本人の感覚とも親和性があるのではないでしょうか。

ただ細部を追求するにあたり、永続性を獲得することは難しいと思います。問題は写真のようにリアルに描くことではなく、存在の深淵と向き合えた時に神が宿るはずです。

その点において、現代の写実主義の作家ではアントニオ・ロペス以上の画家を見たことがありません。日本人では、例えば田中一村がその頂きにまで到達しています。

ゴヤの作品

上の作品は18世紀の巨匠ゴヤです。彼は聴覚障碍者であったこと、「黒い絵」のシリーズを生み出したことで知られています。

私は藝大に在籍していた時、一度だけ先端科の講義を受講したことがあります。その時、ある教授が「現代アートの始まりはゴヤである。」と述べていました。しかし、アメリカでは一度も現代アートの定義にゴヤが含まれていると聞いたことがありません。このことは、日本の文脈において何らかしら重要な意味があったのかもしれません。

またゴヤの作品は、他の作品と違って明らかに悪魔的な空気が漂っています。以前、スペインのプラド美術館にある「黒い部屋」を再現したコーナーを訪問したことがあるのですが、あまりにも凄まじくなかなか部屋から出れなかったことを覚えています。特に「我が子を食らうサトゥルヌス」は、何かが宿っているようで尋常ではありませんでした。

ここで大切なのは「ゴヤが聴覚障碍者であった」ということではなく、「聴覚の喪失が彼に何を与えたのか?そして、そこから導かれたものは何か?」ということです。実際のフィジカルな影響があった可能性もあり、精神的な苦しみも計り知れなかったのだろうと思います。

上にあげた静物画も含め、どちらともキリスト教の精神性が大きく影響しており、アジア人には到底理解し難いものです。言い換えれば、西洋思想が決して東洋人の骨の髄にまで浸透しないのと同様に、現代アートもそのまま日本に根付くことはないと言えるでしょう。しかし芸術の根本を見失わなければ、多様性や新しい創造の可能性が常に存在しています。