アメリカでの生活とアートについて

アクセシビリティにおける平等と公平について

日本でもアメリカでも「日本で既に学位を取得しているのに、なぜアメリカの大学に行くのか?」と何度も質問された事があります。実際、欧米でもアーティストとして活動するには、その国の修士号で十分です。

簡潔に答えるなら、私自身が幼い頃からコミュニケーションの課題があり、教育と社会のシステムに疑問を感じていたからです。そのため包括的な環境に身を置きつつ、新たな教育の手がかりと表現を探す必要性を感じていました。

もちろんアメリカにも、日本同様に差別や格差があります。しかしインターナショナルの教育があり、何より世界中から人が集まってきます。

そして、私たちの社会では様々な記号を作り出しています。この記号やシステムの存在により、社会活動をする上で効率が良くなりますが、見過ごされる面も多くなります。そのことがコミュニケーションの弊害要因の一つになっていると思います。

私はこうした社会の仕組みに、子供の時からある種の違和感を感じていました。

この社会を円滑にするはずのシステムが、むしろ障がい者と定型発達者の相互にあるコミュニケーションを妨げることで、不公平さが生まれているのではないだろうか?

Equality(平等)と Equity(公平)

上のイラストは、大学(マイカ)の講義で学んだのですが、平等と公平について考えさせられます。つまり、アクセシビリティによる公平さがないと、社会参与ができないことが示唆されています。

私のケースで言えばノートテイカーによるサポートですが、社会的に独立していないと見なす人もいれば、社会の公平さを保証するものだと言う人もいます。

現実はもっと複雑であり、逆に不利な環境にいた方が知恵と力が身につくこともあります。さらに差があるからこそ、新しい発見もあります。

結局どちらが正解なのではなく、バランスを取って行くことが求められているのかもしれません。

その上、これから世界的により一層の包括性が必要になっていくと思いますし、関わる相手と環境によって人は大きく変わっていくはずです。(*包括性 – 全体を総合させることに主眼が置かれがちですが、差異への感応性として使われています)

したがって、可能な限りバランスと公平性が行き渡るための活動に関わることが、私の生涯のテーマであり、アメリカに留学した理由の一つです。

友人からのgood feedback

同情=平等

共感=公平