アメリカでの生活とアートについて

花とアート

洗濯を数ヶ月もできなかったことがあるくらい、この2年間は休む暇がありませんでした。

そのため、これまでボルチモアの街をゆっくり歩いたことがありませんでした。そこで最近歩いていると、わずか数分先にはっきりと区分けされた地区がいくつかあることに気がつきました。

例えば、私のアパートの周辺には花々が咲き乱れていますが、アフリカ系アメリカ人が人種隔離されていた建物の近くになると殺風景になります。(しかし、マンハッタンやワシントンD.C.の郊外の方が、ゴミが散乱していてさらに酷かったように思います)

この殺風景な風景の中を歩いていると、建物の対比で街の教会にある花がひときわ美しく見えてきます。つまり花々に包まれているという感覚ではなく、花が「私を見て」と主張しているかのようです。

そんな時、経済格差や人種差別を繋ぐ接点は、もしかしたら自然なのかもしれないと思えたりします。実際、花々は誰の心も癒します。

しかし、欧米のアートの世界は違います。たとえ自然が人の心を癒すものだとしても、人間同士の対話の方に焦点が置かれています。

そのため美しい花を見た感動を表現するのではなく、花をどう使うのかという在り方です。言い換えれば、土台となる歴史が違います。